満を持して始まった、ねこ先生の連載。そして突然始まった「ユコわか」シリーズ。「ユコびんでもわかる」って、ねこ先生は私をなんだと思ってるんだろるか(;∀;)ノ
2回目の原稿がリンあれに届きました (σ´∪`σ)

あまりにも忙しいねこ先生、逆にこうしたものを書く事は、息抜きになってるみたいです。よかったね。ん?よかったのか?その分休んでくれた方が…いやいや、どうせスキマ時間は休まないでパズドラとかしちゃうんだろうから、いいのかw
仕事の原稿をあげないで、こんなものを書いている事が知れたら担当さんに怒られそうなので、ねこ先生のリンあれ執筆活動は、皆さん内緒でお願いします(σ・∀・)σ ね!

連載2回目は予告にもあったように、パソコン通信のお話!
パソコン通信って、私には全く謎な世界です。 現在のインターネットの前のものだから…地域限定版(日本)インターネットなんだろうなと長年思ってたんですけど…どうやら違うみたいです。

それではお読みください(๑´ㅂ`๑)

 

《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史》電話とインターネット

(1)インターネット以前の通信事情をごく簡単に

ねこ先生プロフ

〜序文
1)携帯電話が普及するまでの電話事情
2)携帯電話の普及

は、前回のエントリにあります。読んでいない方は、こちらからどうぞ。
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史》電話とインターネット(1)

3)パソコン通信

 パソコン通信は、電話回線を用いたダイヤルアップで、メールのやりとりや掲示板、チャットといった機能を使えるサービスが提供され、1980年代後半からインターネットが広がるまでの10年ほど、かなり流行ったものでした。地域を限定したBBSもたくさんありましたが、ニフティ・サーブ、PC-VANの大手二つが、数百万単位の会員を集めて隆盛を誇っていました。もともとは、アメリカのCompuServe(後にAOLに吸収合併された)が開発したネットワーク・コミュニティーですが、アスキー(アスキーネット)、NEC(PC-VAN)、日本では富士通(ニフティ)の3社が全国的なネットワークを構築して会員を集めていました(アスキーは後に撤退した)。

 パソコンを初期の時代(日本でならNECのPC8000に代表される時代)から使っている人ならわかると思いますが、パソコンやネットワークのデータは、音声データと同じ仕組みで送られ、保存されました。フロッピーディスクが登場するまでは、パソコンのデータを保存する(なにしろ、本体にはデータを保存できるスペースがない)には、カセットテープレコーダーをつないで保存していたのです。パソコン通信のシステムも、多くのユーザーが、最初は電話の受話器にカプラーという器具をはめてパソコン(ワープロ)につないでアクセスする、というものでした(すぐにモデムが普及しはじめた)。当然、データの送受信システムはとんでもなく遅く(サービスが始まった当初は300bps。後に1200、2400・・・と速くなった)、現在のネットに慣れた方には想像もつかないでしょう。その遅さは、パソコン通信の掲示板をダウンロードしていると、画面に流れる文字が判別できるほどでした。私は2400bpsになったときに流れる文字を読むことを諦めましたが、目がいい人たちはその「2400までは読めた」と言います。

 パソコン通信を始めたばかりの一時期、私はパソコンを使っていませんでした。仕事の都合でワープロを使わざるを得ず、富士通のOASISの上位機種をDOSに落として、パソコン代わりに使っていました。DOSプログラムならOASISでも普通に作れましたから、特にパソコンの必要性がなかったこともあります。パソコン通信で使ったオートパイロット(読みたい掲示板やメールを自動的にアクセスしてダウンロードする)ソフトやログの整理用(落としたログを掲示板別にカットしてまとめておく)ソフトなども自作のものを使っていました。(パソコンが広く普及する以前は、こうした自作ソフトを作ることはごく普通でした。ベーシックやDOSはほとんど英文そのものですから、すぐに覚えられたということもあります)ニフティに入った(1991年)直後にⅡfxに出会って一目惚れして買ってからは、ほぼMacオンリーでしたから、ソフトの自作もほとんどしなくなりました。

 ユーザーにとってパソコン通信の最大の問題は、料金でした。その理由は、パソコン通信のネットワークの仕組みそのものにありました。現在のインターネットのように、インターネット網にアクセスすることが「どこでもできる」のではなく、閉鎖系であるパソコン通信網に、外から(電話回線から、またはtelnetなどの別のルートで)アクセスする必要があったからです。東京03地区や大阪06ならよいのですが、地方になれば、電話回線を使ってアクセスポイントがあるところまで「市外通話料金で」アクセスしなければなりませんでした。当初無料だったアスキーネットやPC-VANですが、しばらくするとアクセスに料金がかかるようになり(ニフティは当初から有料)、電話料金と合わせた負担は結構な金額になったのです。私が参加していたニフティの場合、次第にアクセスポイントが増えて、かなりの地域をカバーできるようになりましたが、それにしても定額が当たり前の現在とはかなり意識も実際の負担も違いました。それでも、毎晩のようにチャットをしていた人たちもいました(笑)それに加えて、ニフティは当初クレジットカード決済のみでしたから、クレジットカードを持てない(持たない)人たちは必然的に排除されていました。私も「不自由業」でしたので、クレジットカードを作ることが難しく(当時は、学生か会社員、ないしは収入がとても多い人以外は大方撥ねられていました)、ニフティが銀行引き落としを認めるようになって、初めて加入できたものです。

 今回、少し取り上げてみたいのは「パソコン通信文化」です。それは、インターネットの文化につながるところと異なるところが両面あり、とても興味深いことだからです。

 私がクレジットカードのことを書いたのは、アスキーネットやPC-VANに比べて、非常に「スノッブ」な集団だと感じたからです。最初から「足切り」があるわけで、意識するとしないとに関わらず、発足から3年ほどの間にニフティに入った人たちは、ある種の「エリート」集団でした。それに比べて、PC-VAN(一時期覗いていました)やアスキーネット(こちらは入ったことがありません)は、当初無料であったこともあり、ニフテェとは違う雰囲気がありました。

 ニフティには、さまざまなカテゴリーの「フォーラム」(掲示板の集合体のようなもの)があり、Sysopと呼ばれた責任者が、アクセスに応じてニフティからペイが払われて管理していました。大きなフォーラムのSysopになると、通常の給与所得とは比べ物にならないくらいの額が払われていたようです。フォーラムを面白く、上手に管理すれば、アクセスも増え、それに応じて管理者も利益を得られる、というシステムは、ある意味では上手く機能していました。それに加え、上記のような「エリート意識」が、「品の良い」フォーラムを多数存在した大きな要因です。私も5、6のフォーラムで活動していましたが、オアシスフォーラムのような「富士通もの」ではない趣味のフォーラムでも、富士通関係者がたくさん存在しました。そう言った意味で、非常に偏った世界としてスタートしたものだったのです。

 性別や年齢層にも大きな偏りがありました。内容によって女性が多いところもありましたが、総体としては、感覚的には8割がた男性だったように思います。年齢層も、当時30代に偏っていました。30代、男性、一流企業会社員、というのが、典型的なニフティの会員だったわけです。私は一流企業に勤めたことがありませんが(笑)

 インターネットと異なり、「顔が見える」のがパソコン通信(特にニフティ)の特徴でもありました。閉鎖系ですから、オフ会なども盛んで、ネットのつながりがリアルな友人関係に発展することがごく当たり前でした。私の友人にも、当時のニフティ時代のつながりで広がった人が多く、現在でも親しくさせていただいています。オフ会つながりで結婚した人たちもたくさんいました。

 パソコン通信の最盛期は、インターネットが一般解放された頃(94~95年)です。ニフティやPC-VANは100万単位の会員を集めて、フォーラムもどこも大にぎわいでした。こうしてパソコン通信に集まった人たちは、情報メディアについて大きく分けると二通りでした。ひとつは、最新の、より利便性の高いものを追求する人たちで、もうひとつのグループは、パソコン通信の中で行われているフォーラムなどの活動が中心で、情報機器などには興味がなかった人たちです。

 パソコン通信は、インターネットが広がるにつれて廃れていきました。今世紀になると、実質的にはほとんどの会員がインターネットに移行してしまい、数年でパソコン通信は終焉を迎えました。

 基本的には文字情報だけの閉鎖空間であるパソコン通信が、画像などを扱うことができる無限の広がりを持つインターネットに取って代わられたのは必然だと思いますが、パソコン通信という文化が「残せなかった」のは、富士通やNECの戦略ミスだったと思います。閉鎖系の「良さ」は、現在のFacebookの勢いを見ればわかるでしょう。ユーザー側の「安心感」を担保したままでネットの広がりを利用できるように進化できなかったことが、パソコン通信を「過渡期のあだ花」にしてしまった最大の原因です。

 実際に、ニフティ時代には積極的に活動していたのに、「インターネットはどうも・・」という友人、知人がたくさんいます。さすがにメールのやりとりだけはしていますが、情報の選択の難しさ、そして、誰が見ているかわからないという恐怖が、そういった人たちを遠ざけてしまったのだろうと思います。

***

 次回は、インターネットが普及し始めた頃のことを少しばかり書いてみようと思います。

前回のねこ先生の寄稿エントリ
docomoのiPhoneとアップルの「進化」 (寄稿:ねこ先生)【リンあれ三周年企画】 

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