はーい!パンパン (。・д・。)ノちゅうもくー

昔からコンピュータや通信系をやっている人には懐かしく、そうでない人にはためになる「ユコびんでもわかる」ネットと通信の歴史、ねこ先生連載、第三回目です〜!

思いのほか、定期的に仕上げてます、ねこ先生!エラい(笑)
いつものねこ先生を見てると、もっと途切れ途切れになるかと思ってたんですけどね。 仕事じゃない事なら素早いのは、みんな一緒ですねw

第3回目は…前回の予告ではインターネット初期ということでしたが…、第2回目を読んだ私が、「パソコン通信って、インターネットとは全然違うんですね〜。話では何となく分かったけど、体感としては分からない〜」と言ったことを受けて、文化の違い、意識の違いについて掘り下げてくれたようです。だって、「ユコびんでもわかる」シリーズですからね!(笑)私の理解で内容がかわっちゃうってことなんですね…w

| x・) 。oO(ってか、ROMって昔からある言葉なんだ!私はリンあれへのお便りで始めて見た言葉で、DDに「ROM専ってなに?ROMって何かわかんないから返事かけない」と言って教えてもらったのだ。ネット用語って未だにわかんないの多いけどw)

それでは、お読みください。

 

《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史》電話とインターネット

(1)インターネット以前の通信事情をごく簡単に

ねこ先生プロフ

〜序文
1)携帯電話が普及するまでの電話事情
2)携帯電話の普及
3)パソコン通信 

ユコびんでも分かるインターネットと通信の歴史、これまでのエントリを読んでいない方は、こちらからどうぞ。
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史①》電話とインターネット
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史②》電話とインターネット / パソコン通信 〜ねこ先生連載

 

4)パソコン通信とインターネットの文化の違い

 予告とやや違いますが、パソコン通信の文化について、もう少し書いておきましょう。

 前回「顔が見える」という書き方をしましたが、パソコン通信の使い方は、今のインターネットとはかなり異なるものでした。インターネットは「情報を調べるために使う」人が圧倒的に多いと思います。美味しいレストランの情報、新製品の情報、製品の口コミ・・・こういった直接役に立つ情報を集めるには、インターネットはとても便利なものです。もちろん、ネット上にある情報がすべて信頼できるものではありません。私の仕事の分野で言えば、むしろ間違いや時代遅れの情報の方が圧倒的に多い。もちろん、そんなことはみなさんもよくご存知だと思います。

 なぜこんなことを書いたかというと、インターネットを使っている人のほとんどは、インターネットに「参加して作ってはいない」のだ、ということを押さえておきたいのです。ネットで買い物をすると、あたかもインターネットに「参加した」ように感じるかもしれませんが、これは、実店舗で買い物をするのと全く変わりません。お店が変わっただけなのです。インターネットに「参加する」とは、情報を発信したり、実際にインターネットを使って何らかの能動的な働きかけをすることなのです。もちろん、目に見えないユーザーがいないとインターネットに「参加する」人は減るでしょうが、何かを発信したい人、何かを売りたい人は、何らかの方法を考えるもの。その必要がなくても使えるから、インターネットは使いやすく、多くの人が利用しやすいのです。

 パソコン通信、特に、最大の会員を擁したニフティの文化は、やや違いました。多くの掲示板をただ見るだけの人たちを、「ROM」(Read only member)と呼ぶ習慣があったのも、そうではない人たちがパソコン通信という文化を「作っている」意識が(無意識であれ)あったからだと思います。

 現在のインターネットで、もっぱらオフ会を行うためのサイトを作ってPRしたら、みなさんはどう感じますか? ゆこびんは、「出会い系じゃないんだし、下品と思う人もいるでしょうねぇ…」という感想を言っていましたが、パソコン通信では、もっぱらオフ会に参加する人たちも「ROM」ではありませんでした。オフ会の参加表明しか書かない会員でも、オフ会に頻繁に出ればメンバーに好意的に認知されるのが普通だったのです。同好の志が集まるオフ会に、パソコン通信に参加していない友人を連れて行く、そしてその友人がパソコン通信の会員になる、ということも、普通にありました。もちろん、会員の方は事前に「こんな友人を連れて行きます!」という参加表明をするのが普通でしたが。また、会員数が1万近くなる(場合によっては超える)ような大きなフォーラムで全国規模のオフ会を行うと、連日数百人が参加する、ということも珍しくはありませんでした。この「参加率」がいかに高いかは、皆さんも容易に想像がつくでしょう。

 パソコン通信を通じて友人になる、夫婦になる、ということも、珍しいことではありませんでした。(95年頃、「パソ婚ネットワーク」という本が出版されました。)もっとも、現在のインターネットのような社会的認知度はありませんでしたから、いろいろ笑い話があります。

 私の友人の一人が、あるフォーラムで知り合った女性と遠距離恋愛をして結婚しました。もちろん、何回も顔を合わせておつきあいをした結果なのですが、親の世代の親類縁者たちは、「そんな、電話でやりとりして付き合うなんで、テレクラみたいなところなのかい」と散々なことを言われたと嘆いていました。パソコン通信自体がその程度の(テレクラ、という言葉よりは遥かに認知度が低かった)存在でしかなかったのも事実です。最盛期ですら、たかだか200万の集団ですから。

 長々とパソコン通信に参加していた人たちの意識について書いたのは、パソコン通信は「参加している意識が強い」または「同じフィールドを共有している意識がある」人たちが支えていた、ということです。同様の意識を、現在のようなインターネットで持つことは、ほとんど不可能です。情報は無制限に広がりますし、ひとつの集まりの向こうにどれだけの「顔が見えない」人がいるのか想像もつきませんから。

 このような人の集まりをなす術もなく散逸させてしまったのは、ある意味でもったいなかったかもしれません。実際に、私の仕事や趣味の関係でネット上で有益な議論ができたのは、パソコン通信時代の方でした。10年以上前、インターネット上の自分のサイトで議論をしてみたこともありますが、頻繁に書き込みをする連中は2チャンネルのような感覚で、罵倒と曝しが横行し、建設的な議論など望むべくもありませんでした。もちろん、パソコン通信上で建設的な議論ができるテーマは限定的でしたし、議論の多くが有益だったとは言えませんが、インターネット上ではそのような場が得られないのは、ある意味で仕方がありません。

 インターネット上の議論が有意義になりにくいのは、「思考停止型」の議論が多いからです。最初に結論が決まっていて、相手をいかに負かすかだけに集中する。これは、議論が苦手な日本人の特徴かもしれません。思考停止型論者の代表格、橋下徹大阪市長が、著書で堂々と「負けそうになったら話を逸らす」と書いて、それに喝采を送る日本人が多いことがその証左でしょう。お互いに信用している相手となら、議論しながら自分の意見を修正することもできるものです。インターネットでは、日本人にとって苦手なこの「議論」が成立しにくいのは、仕方ないかもしれません。

「飲み屋で政治と野球の話はするな」と言われます。いろいろな意味があるのでしょうが、同じ嗜好を持つもの同士が飲んで盛り上がるのは好きでも、意見が異なる時にそれを飲みながらぶつけることが、日本人にはとても苦手なのです。私はどちらかとうと議論好きなほうです。単なる天邪鬼なのかもしれませんね(苦笑)

 そういった意味でも、パソコン通信が「仲間を作りやすい場所」として、かなり有効に機能していたのは確かでしょう。

***

 次回からは、前回予告した、日本のインターネット黎明期のことについて、いくつか書いてみようと思います。

前回のねこ先生の寄稿エントリ
docomoのiPhoneとアップルの「進化」 (寄稿:ねこ先生)【リンあれ三周年企画】 

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