Appleがもうすぐ「いつもの日を忘れられない日にしてくれる」という話でもちきりの午後、皆様いかがおすごしですか?
今晩の発表は何なんだろう?、と想像を膨らませている人も多いでしょう。
私は想像するにも材料がないので、既に待ちの体勢に入りました。(笑)
本日のエントリは、いつもいろいろなブログを読んで感じている事をつらつらと書いてあります。
本当は今晩のiTunesの発表にからめた内容がいいんでしょうけど、昨日から「私のブログの読み方について書くのじゃ(`・ω・´)ゞ」と決めていたので、これをupするのです。
よろしくお願いします。(´∀`)ハジまるよ
そこでしか手に入らない”何か(something)”
私のブログは基本的にMac系ブログという方針はあるものの、周囲を見渡してみると、同じMac系というジャンルでも様々なブログがある。
面白いもの、そうでも無いもの、全部が同じように面白いなんて有り得ない。
じゃ、何が面白いと感じるか?
たぶん多くの人が同じ答えだと思う。
『他には無いものがある』ブログ。『そこでしか手に入らないものがある』ブログが面白いのだと。
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ブログをやっている人は分かると思うのだが、ブログを始めたところで、ある程度自分のスタンスを決める(決めて行く)事になる。そのスタンスはブログの色にも大きく関係してる。
私は新しいブログを発見すると初期の方の記事を読む事にしている。初期の記事は現在の記事とスタンスが違う事も多い。その中に書き手(ブロガーさん)のいつもとは違った(又は過去の)人となりが垣間見られる事もあり面白い。(笑)
もちろん最初からずっと主旨貫徹の人もいるが。そうでない人は試行錯誤しながら続けて行くうちに、何らかしらのルール(といっても曖昧なものである事が多いかもしれない)が出来ていくからだろう。
そのルールを決めていく際、多くの人が考えるであろうこと、一言で言うと
差別化。
おそらく「100%自分の為だけにブログを書いている」という人以外はこのような事を考えるようになる。
それが明確な「差別化」という言葉が出てこなくても、
「自分が書いてるような事は、他のブロガーさんも書いているよね。自分が書く意味って…。」
と思う事もこれである。
或る内容に特化して行くのも、
また、他のところにはない企画等を持っているブログもこの要素がある。(もっとも差別化と言う意識より、より良いもの、より面白いものという意識が強い)
私にしても(この数ヶ月しかブログをしていないが)簡単な解説モノの記事のパーセンテージは減ったと自覚している。
「私がやっても面白くない。というか、だいたいが他のブログに載ってる。」
それこそ「他にも載ってる事を自分が書く意味は、あるのだろうか? いや、ない。(反語)(・∀・)」
説明するのは楽しいけれど、それだけじゃ自分がつまらない。と思ったからである。
とは言うものの、私は、同じ情報が載っていたとしても、その書き手(ブロガーさん)の人となりが見える記事は大好きである。もちろん情報系の記事でなくても。考えてる事や人柄や頭の構造、そんなものを感じながら日々ブログを読んでいる。
(もちろん、それが本当のその人とは違うかもしれない。が、書き手がどのような断面をブログに書き留めるかが自由なように、私の想像も自由だ。)
しかし世の中では情報系が圧倒的に人気のようだ、書き手ではなく情報そのものにしか興味がない人が多い、という事だろう。
それはちょっと寂しい(*1)。と私なんかは思ってしまう。だが取り立てて悪いこととは思わない、自分とは趣向が違うだけだ。
私からすると、
情報はどこへ行ってもほとんど同じだけれど(同じようなものをたくさん集めればかなり全容が見えてくるけれど、それだけ)、書き手は同じじゃない。そこにその人の魅力を感じるものがあれば、それが差別化だと思っている。
だから特に差別化なんてしなくても良いのだ。分かりやすい言葉でいうなら個性(*2)ということだ。
その人の感じた事、考えた事、伝えたい事、雰囲気、何でもいいけれど、その何かが(十分)他にないものであり、差別化なのだと。
そう私は考えている。
さりとて「世のブログの全てが存在するだけで差別化されているのだ」等と言う気はさらさら無いし、差別化されていればイコール魅力的だとも思わない。
“何か”をあまり感じられないものも残念だが多く存在するし(これは私のアンテナの感度のせいもあるかもしれない)、他にない”何か”を持っていてもそれが周りに対して侮蔑的等、不快な”何か”である場合もある。
***
中には、好きだの嫌いだの、快、不快という事自体求めていない人もいるだろう。
しかし、私はブログに自分の好奇心や安心感を満たしてくれる事を求める。
私は書き手の人となりが感じられるブログが好きだ。
そこに共感や驚き、感動、感心、憧れ、何でも良いが”興味が持てる何か”を感じられるブログが好きだ。
それが私にとって『そこでしか手に入らないものがある』という事なのだ。
そんな魅力的なブログがたくさん増えるといい、と思っている。
自分と書いているブログの話
“何もしないでも差別化”という話、これは自分が他のブログを見る時の視点であって、決して自分に対してのいい訳ではない。(笑)
読んでくれた人が何かを感じられるブログになれたらいい、と、そんな事を考えながらブログを書いているものの、自分の書いたものを客観的に見る事は苦手なので、実際どうかは…ここでは置いておいて欲しい。(発展途上と思って生暖かい目で見てあげて下さいましよ。)
実は、ブログを書く事を決めた当初、ここには「4コマまんがを描く」というコンセプト(差別化)があった。
「Macの知識や経験が圧倒的に少ない自分が書けるものなど特にない。私の周りにはねこ先生やDDがいるし、ゆるゆるとした私のMac日常を描いたらどうだろ。楽しいかもしれない」と思ったのだ。
しかし「まんがなんて描いてこなかったし、オチとか考えないにしても、ただ描くだけでもやたら大変だ(T◇T)。無理ー!」と二日目には、そのコンセプトは流れて行った。「マンガはぼちぼち入れていこう。一コマ絵日記でも良しとする!(´∇`;)」ということになった。
ブログを始めて2、3日ですぐに「結局は自分以上のモノは書けない」と分かってしまった。もう数日して、自分の書いた物を見てさらに思い知らされた。
コイツ頭悪りぃな、と。(笑)
頭が悪い定義が何かと云う話はここでは置いておくとして、とにかく言いたい事や考えをそれらしく組み立てる能力値がとても低いのである。訓練を怠って来た人間はこうなのだ。これがせめて知識があれば、適当に上手く形だけは整える事が出来るのだろうが。
そんな訳だから、私の場合、”ブログ”は”ほとんど自分”だ。大きくも小さくもない。中には上手に自分をプロデュース出来る人もいるのであろうが、自分にはそんな器用な事は出来ない。もちろん字面からは見えない要素あるのだろうけれど、字面から見えてる部分はまごう事無き自分の一部である。
だからこのブログは自分の記録でもあるとも言える。それは”成長”の記録になる予定である…(願望)。(^-^;)
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誰かの何かになれるかなんて、結局は結果であって、自分が出来る事なんてたかが知れてるのだなぁ。結果を狙って出来る程の能力は私にはない。
それは最初から分かっている事だ。
言葉尻から自分の能力のなさを憂いているかのように感じるかもしれないが、全くそんな事はない、全く悲観していない。ただ”自分にとっての何か”を権威(的なもの)に頼るしか知らない輩が多い事には憤りを感じている。
という訳で今日もブログを書き描きする私であった。φ(・ω・ )ワタシはほわほわしてるだけじゃナイのダー
で、何が言いたかったと言うと
まぁ、もし「他の人と同じ事書く意味があるのか?」「自分の書くものなんてつまらないんじゃないか」なんて悩んでいるブロガーさんや、ブログをやりたいと思っている人がいれば、こんな風にブログを楽しんで読んでる人もいるんだよ、ってことで。誰かの何かになるかもよ、ってことで。
あとは「私は書き手の人となりが感じられるブログが好きだ」って主張したかったのだーっ。
それから「そんな魅力的なブログがたくさん増えるといい」といつも思っている。
自分の話は…おまけかな(・∀・)?
というエントリでした。
(*1) 情報のみの価値で言えば他に無い事、つまり一番最初でなければ意味がない、となる。(サイト全体であれば量も関係してくる)
情報という観点でみれば、ここは全く意味の無いブログであろう。なにせ管理人のMac(やパソコン)の知識はほとんどなく、特別な情報入手ルートがあるわけでもない。って情報を求めてくる人はほとんどいないのだろうけど、たまに迷い込んでくるようだ。ごめんね。
(*2) 個性と言う言葉は私はあまり好きではない。変わり者と思われたい普通の人間が好んで使うからだ。言い訳や歪んだ自己愛にも使われる。そういうものを多く目にしたためだろう。言葉自体は本来悪いイメージではないのにな。こんな自分イカンと思う。(笑)