お待たせしました!ねこ先生連載第6回目です。ヽ(‘ヮ’*)ゝ

今回もまたねこ先生の過去話が出てきます。Facebookページなどで少しだけ予告しましたが、読んでて思わず笑っちゃいました。「いいのか?本当に時効なのか?」とツッコミたいですw 
いや、何も言いますまい。 
それでは、お読みください。(*´艸`*)

《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史》電話とインターネット

(1)インターネット以前の通信事情をごく簡単に

ねこ先生プロフ

〜序文
1)携帯電話が普及するまでの電話事情
2)携帯電話の普及
3)パソコン通信 
4)パソコン通信とインターネットの文化の違い
5)パソコン通信についてもう少し
6)日本でのインターネットの黎明期におけるNTTと「通信自由化」という「嘘」 

ユコびんでも分かるインターネットと通信の歴史、これまでのエントリを読んでいない方は、こちらからどうぞ。
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史①》電話とインターネット
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史②》電話とインターネット / パソコン通信 〜ねこ先生連載
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史③》パソコン通信とインターネットの文化の違い
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史④》パソコン通信についてもう少し
《ユコびんでもわかるインターネットと通信の歴史⑤》日本でのインターネットの黎明期におけるNTTと「通信自由化」という「嘘」

7)日本のインターネットの黎明期のお話をいくつか

 インターネットが普及し始めた頃は、さまざまなことが手探りでした。何しろ、インターネットがどのくらい普及するのか、どのくらい便利になるのかが誰にもわからなかったからです。今でこそ、「インターネットの無限の広がりは、すぐに世界を巻き込むと思っていた」ということを言う人たちが多いのですが、そんな人たちが当時は「通信速度や費用に難点があり、一般家庭にインターネットが普及するにはまだ20年以上かかるだろう」と予想していたものでした。誰とはいいませんが(笑)。

 80年代後半から90年代初頭までに技術的な進歩を「最大限に」予想していた人たちでも、これほどの速さでインターネットや通信機器、パソコンなどが進化するとは想定していませんでした。実際に今できることは、当時すべて予想されていたことばかりなのですが、何よりもスピードが速い。インターネット周辺にいた人たちは、みんな「夢」を持っていましたが、「本当にそんなことができるようになるの?」ないし「いつになったらそれができるの?」と、懐疑的にとらえていた人の方が多いでしょう。

 私も、インターネットの周りにいた一人でした。

 もう時効だと思うので書いてしまいますが、私は創立直後のYahoo!で、特にYahoo!インターネット・マガジンにかなりの量の記事を書いていました。友人がYahoo!のごく初期のメンバーにいて、「ねこさんなら書けるでしょ」といういい加減な理由で記事を書かせていただいたのです(苦笑)。他のライターにも友人が何人もいました。ライターといっても、物書きを本業にしている人は少なく、何らかの専門性を持っていてそこそこ文章が書ける人は総動員、という感じでした。そのほぼ全員が、パソコン通信出身者というところが面白い。Yahoo!の友人もライターたちも、皆、パソコン通信をかなり積極的にやっていた人たちだったのです。パソコン通信のフォーラムでいろいろなことを書いていれば、その人の頭の中身や文章能力はわかりますから、編集部としては安心だったのでしょう。

 さて、初期の頃のインターネットのまわりは、どんなに人や環境が整っていなかったかというと・・・

 私が一番たくさん記事を書いたのは、ネット上のホームページ(当時は、「サイト」とは呼ばず、「ホームページ」と呼ぶことが多かったのです。用語が混乱していたのと、その方がわかりやすかったからです)の紹介記事でした。最初は私の専門分野について書いたのですが、そのうち、他の分野の記事も書いてほしい、ということで、ライターネームを3つ使い分けていくつかの分野の記事を書いていました。よほど、ネットに慣れているライターさんがいなかったのだと思います。

 さて、あるとき、ネット上で紹介したいホームページを探しても予定の数にならないことがありました。とてもメジャーな分野で、今では考えられないことですが・・・どうしようか、と編集部に相談したところ、あっさりとこんなことを言われました。

「ねこさんがホームページを作ってよ。こだわりのある分野だからできるでしょ? これまでにパソコン通信で書いたものをまとめたりして、それを紹介したらいいと思う」

 さて、原稿の締め切りは1週間後です。当時は、ホームページを作る簡単なソフトなどなく、私自身もその気がなかったのでHTMLの勉強も全くしていませんでした。それでも仕方ありません。打ち合わせの帰りにHTMLのテキストを買って、1週間かかって(実は3日ほど遅れてしまいましたが)、かなりの量の情報を仕込んだサイトを立ち上げました。自分で言うのもなんですが、当時のその分野のサイトにはない情報をたくさん載せて、それなりに面白いものができました。そして、それを紹介記事の最後に「こそっと」載せてしまいました。後から聞いた話では、当時はこんなことが普通にあったらしいのですが、今なら「やらせ」と言って非難されるかもしれません。

 インターネットが普及した当時は、インターネットの普及率そのものが低い上に検索機能が現在のように優れていなかったこともあって、「インターネットの情報を雑誌で探す」のが普通でした。Yahoo!やアスキーが出していた雑誌がかなりの部数の売り上げを上げ、雑誌で紹介されたサイトにはアクセスが集中(といっても、今の「集中」とは二桁以上違いますが)したものです。私が突貫工事で作ったサイトも、結構なアクセス数になりました。私自身が面白かったこともあって、時間をかけてあれこれと整備し、5年以上毎日のように更新して、かなりの人気サイトになりました。今のブログとは手間が全く違いますので、自分でもよくやったなぁ、と呆れています。

 Yahoo!だけでなく、アスキーなども、実態はかなりいい加減なものでした。何しろ、専門家がいないわけです。技術者はそれこそ必死で集めていましたが、その他の部署は当初は寄せ集め。急速に伸びることが想定されたので、優秀な人を奪い合うような状況でした。それでも、初期の頃にYahoo!など働いていた人たちは、一生働かなくても良いくらいの報酬(株式)がありましたから、先端分野で勝ち組になると凄いですね。

 このころの歴史は、ソフトバンクの孫さんやアスキーの西さんを抜きにしては語れません。詳しい歴史を語る能力はありませんが、少しだけ触れておきましょう。

 二人はいずれも、パソコンやインターネットを日本に根付かせた功労者の代表格ですが、その視点と能力には正反対といっても良いくらいの違いがあります。西さんが「技術屋」で夢を追い続け必ずしもアスキーを成功させたとは言い難いのに対して、孫さんは合理的な経営者として成功しました。

 1980年代には、西さんも孫さんも先駆者ではあっても社会的にそれほど大きな影響力を持つ存在ではありませんでした。とはいえ、現在のように起業家が溢れている時代ではないのに、いずれも20代で先進的な事業を立ち上げたのですから、ただ者ではありません。その経営手法にも大きな違いがありました。皆さんもよくご存知だと思いますが、孫さんはフットワークが軽く、自分で重要な場面には必ず登場して話をまとめることが多いのですが、西さんは経営の多くの場面を周りの人に任せ、自分は技術屋として企画を立てることに熱心だったのです。どちらにより興味があったか、という違いだと思いますが、西さんの歩みを見ると、経営という意味では、側近の多くが離れていったことでもそれがわかります。しかしながら、西さんの見ている方向は、かなり先を行っていました。パソコンというツールを単なる道具として見るのではなく、最初から「パソコンはメディアになる」と、現在のインタラクティブなパソコン・インターネットの世界を思い描いていたとも言えるのです。このお二人の軌跡をリアルタイムに見ていたものとしては、現在の状況にはある種の感慨があります。

 インターネットからは外れますが、少しMacのことも書いておきましょう。

 私が2fxを買ったのはインターネット関係の仕事をする前でした。いっぺんにはまってしまい、毎日あれこれといじくっていたのですが、当時は仕事がとても忙しく、思うように使えていたかどうかには自信がありません。しばらくすると新しいものが欲しくなり、Centris 610を友人から中古で買いました。

 当時のMacintoshはどれも短命でした。2~3年、下手をすると1年で生産中止、という具合で、ユーザーとしては目移りがして仕方なかった記憶があります。今の若い方には想像もつかないかもしれませんが、2fx時代に初めて買った外付けのハードディスクは、容量3M(1M1万円と言われていた時代です)。これでも、フロッピー4枚分以上で結構重宝しました。直後に72Mのものを買った(10M1万円、と言われていた)時には、「これで一生記憶媒体は買わなくて済む」と思ったくらい、画期的な量だったのですが(笑)

 当時のあこがれの機種はQuadraでした。仕事の関係でおつきあいがあったお医者さんが、出たばかりの840を買ったのを見せていただいて、大いによだれを流したものです。私らしくないのですが、何よりそのフォルムに憧れました。自分のマシンとは明らかに性能が違ったのですが、手を入れにくい(簡単に筐体内にアクセスできない)上に結構トラブルも多く、あれこれと愚痴をこぼしていたのを思い出します。それにしても安い車1台分くらいの金額でしたから、私などにはとても手が出ませんでした(笑)

 ところが、直後にいわゆる「Power Mac」シリーズが登場し、様相が一変します。プロセッサーを一新して発表された6100、7100、8100は、それまでのCentris/Quadraラインよりも明らかにコストパフォーマンスが良く、私も即座に乗り換えました。もちろん、一番安い6100です(笑)私がインターネット周りの仕事をするようになったのは、ちょうど6100を買った頃でした。

 95年頃まで、Macintoshの寿命がとても短かったのは、少しのパフォーマンスの向上が、大きな質の違う結果を生んだからです。今なら、AirであろうとProであろうと、ほとんどのユーザーはその違いを必要としていません。そのくらい、全体的なパフォーマンスが上がっているのです。しかし当時は、まだパソコンというものそのものが「発展途上」で、アップルに限らず、どこのメーカーのマシンも「次が出たら乗り換えないと」という雰囲気がありました。私の場合で言えば、初めて2年以上使ったMacintoshが、6100でした(まだ、実家の倉庫にあります/笑)。次に出た7500のシリーズにはあまり興味がわかず(ローエンドのマシンは6100とあまり性能に差がなかったように記憶しています)、7600が出てから乗り換えました。このあたりまでが、インターネット初期に私が使っていたマシンたちです。

 Macintoshの歴史は、それこそネット上にいくらでもあると思います。興味があるかたは、これらのキーワードで検索してみてください。

ねこ先生の寄稿エントリ
docomoのiPhoneとアップルの「進化」 (寄稿:ねこ先生)【リンあれ三周年企画】 

 

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