人は自分が納得するための言葉を探す。
人は自分が納得したいがため行動する。
世間知らずで物知らずで生きてきた私が思うこと
死というものは、可能性が無くなるということ。
良いことも悪いことも素晴らしいことも酷いことも
これからの何もかもがなくなること。
これからももっともっとステキな(そして時にダメなw)アイディアをプロダクトを見たかったし触れたかった。
もちろん「Apple = Steve Jobs」ではないが。
残念で残念で仕方がない。
本当にそう思う。
もっともっとやりたいことがあったはずなのだ。
そしてそれを実現する能力も。
もったいない。
だから死はキライなのだ。
これから先の全てを奪う。
私は昨日も今日も変わらない。
Macに出会って私の世界が広がったこと。
そのおかげで今、ねこ先生のお手伝いをしていること。
こんな亜流ブログだがMacブログを始めたことでたくさんの出会いがあったこと。
Apple製品がきっかけで得たたくさんのもの。
昨日も今日もAppleと私を取り巻く人々に感謝する気持ちに変わりはない。
だから私は彼が死んでも死ななくても
良いと思ったモノを使い
良いと思うモノを作る。
人は自分が納得するための言葉を探す。
人は自分が納得したいがため行動する。
それで良いと思う。
私は言葉を探さない。
私は祈らない。
人は永遠ではない。
だから出来る事をするのだ。
死ぬまでの間、どれだけ自分が出来る事をして、そして納得するか。
それだけだ。
今から出来るだけのことをするだけなのだ。
なんてもったない。
そして、”スティーブジョブズよりカリスマ性がないけれど(笑)同じかそれくらいすごいと私が思っている”ねこ先生のやりたい事のお手伝いを頑張ろうと思いました。
(以前「スティーブジョブズと同じくらいすごいと思っている」とねこ先生に伝えたら、”この子、何言ってんの?”ってすごく冷たい顔されましたけど^^;)
うん。
どんなに考えてもすごく悲しいです。
でも悲しんで納得出来る質でないみたいです。
自分がすごく不器用なんだと初めて知りました。
私は祈りません。
彼は他人ですが、彼の死は私には他人事じゃないからです。
秋は好きな季節なのにな。
死はキライだよ、本当に。